差異派フェミニズムを、市井の女性として

差異派フェミニズムを基軸に、性差・制度・公正・自由を考える市井の女性視点からの記録。

極端じゃない中絶の話をしたい──女性の自己決定権の回復

はじめに

私は、女性は人間であると同時に、女性という心身を持つ存在だという考えに立っています。
この視点から見ると、リプロダクティブ・ライツの議論も、単に個人の自由や平等だけでは捉えきれない、女性固有の身体的・社会的な現実が浮かび上がってきます。

中絶に関する法的な現状(日本)

現在の日本では、母体保護法によって人工妊娠中絶が一部認められています。

 

  • 原則として 妊娠22週未満(21週6日まで) 中絶が可能です。
  • 中絶の理由には 経済的理由 や 母体の健康への重大な影響 が必要です。
  • 12週以降の中絶 では、死産届の提出、火葬・埋葬などが求められます。
  • 多くのケースで 配偶者の同意 が必要とされており、自己決定権を妨げています。

 

このような制度の中で、中絶の自由な選択がどれほど制度的に保障されているかは、今一度問い直されるべきだと私は考えています。

私の立場(要点)

中絶は、女性の身体の自由権、そして自己決定権を守るための、必要な選択肢です。
自分の身体をどう扱うかを自分で決める権利であり、他者の許可を必要とするものではありません。

 

日本では、たとえば配偶者同意の要件などが依然として制度として残っており、中絶を現実に選択しにくくする障壁となっています。
配偶者の同意が必須である状況は、女性の自己決定を妨げるものです。

 

また、妊娠の事情は一人ひとり異なり、女性の身体には個別性があります。
だからこそ、自由が必要なのです。

 

さらに、私は胎児は人権を持つ存在ではないと考えています。
したがって、胎児の法的権利が女性の権利と衝突することはないはずです。中絶は、女性の身体の自由権を保障するうえで、欠かせない選択肢だと考えます。

堕胎罪の扱いについて

私は堕胎罪を現状維持すべきだと考えています。

 

法制度としての堕胎罪には、女性の安全を守る側面もあります。
たとえば、無資格者による危険な中絶行為の抑止という観点です。
医療の安全性を確保し、非正規・非医療的な行為から女性を守るためには、何らかの法的枠組みが必要だと考えます。

胎児に重度の障害や病気がある場合の中絶について

日本では、胎児に重度の障害や病気があると診断された場合でも、中絶が制度上明確には認められていません。
いわゆる「胎児条項の導入」とも呼ばれる議論ですが、私自身はまだ勉強中の立場です。

 

なお、こうした制度が「優生思想」と混同されることがありますが、それとは異なる視点から制度を捉える必要があります。
参考までに、以下の記事ではその点について論じられています。
フェミニストである、ピルとのつきあい方さんのポストのまとめです。:

posfie.com

「中絶は悪」という思想について

「中絶は間違っている」と感じる人がいることを、私は否定しません。
そうした感覚や倫理観は、個人の内面の自由に属するものであり、排除されるべきではないと思います。

 

しかし、その思想を他者に制度として強制することとは、きちんと線引きされる必要があります。
女性が罪悪感を持つことも、持たないことも、どちらも認められる社会が必要です。

極端な対立を超えて

現在の中絶をめぐる議論は、「すべての中絶は殺人だ」とする声と、「いつでも誰でも自由に中絶できるべきだ」とする声の極端な対立に陥りがちですが、実際の女性たちの状況はもっと複雑で切実です。

 

妊娠や中絶をめぐる経験や考え方は人によって大きく異なります。
だからこそ、お互いの違いを尊重しながら、冷静で建設的な対話が必要だと私は思います。

おわりに:選択を支える社会へ

中絶は、個人の身体と人生に深く関わる選択であり、外部の価値観や道徳によって制約されるべきではありません。
だからこそ、十分な情報、安全な医療、心理的な支援、そして法的な支えが必要です。

 

そして、女性が「女性の心身を持つ」という現実から出発し、女性の心身にかかる負担に応じた制度こそが、今の社会に必要だと私は思います。

まだまだ勉強の途中です、必要に応じて立場を柔軟に見直していくこともあるかもしれません。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。